2012/05/16 11:17 に Hosyuko Admin が投稿
- 「積極的改善措置」という訳語より、カタカナの「アファーマティブアクション」の方が聞きなれた言葉になっているかもしれません。以前にご紹介した妊娠中絶の問題同様、アメリカで国を二分する大きな論争のひとつにこの「アファーマティブアクション」の是非があります。
- Affirmative Actionとは、社会的・構造的な差別によって不利益を受けてきたグループ(例えば女性・障害者・少数民族など)に対して、実質的な機会均等を確保するために取られる措置のことをさします。単に差別を禁止する法律を制定するだけでは不充分であり、より踏み込んで実質的な平等を作り出すための特別な対応をはかろうとする考え方は、アメリカのみならず多くの国々で取り入れられ、雇用や選挙、大学の入学者選考などにおいて具体的な措置が講じられてきました。日本でも、例えば障害者の雇用を促進するために、一定の比率で障害者の雇用を企業に義務付ける制度があります。
- アメリカでは、公民権運動の時代を経て60年代から70年代以降、マイノリティとの商取引、採用、入学などを考慮する様々な制度が積極的に採用されていきました。見方によっては「逆差別」にも思えるこのような措置が是認される根底には、「One nation, indivisible(不可分であるひとつの国---Pledge of Allegianceの言葉---)が実現されるべきものであるならば、人種や民族を超えてすべての人々が、この国の市民生活に現実に参加することが不可欠である」というDiversity(多様性)を根本に据える価値観があると考えられます。
- しかし「総論賛成各論反対」は世の常、世論調査でもセオリーとしてのアファーマティブアクションは多数の人々に支持されていますが、個別の方法論では激しい議論が行われてきました。マイノリティの優遇は結果的にマジョリティの逆差別につながり「法の下の平等」に反するという議論も根強く、カリフォルニア州やフロリダ州など、州によっては大学の選考過程における特別措置を廃止した州も現れています。そのような中、今月23日に、ミシガン大学とそのロースクールの入学者選考をめぐるケースについて、合衆国最高裁判所があらためてアファーマティブアクションに対する判断を下し耳目を集めました。
- このケースで最高裁判所は、入学者の選考にあたり、学生のDiversityを実現するために人種を一要素として考慮にいれること自体は、従来の判例を踏襲しつつ合憲の判断を下す一方、マイノリティに一律に得点を加算する方法は許されない、という判断をしました。ただ、この判断も9人の裁判官の意見は最後までまとまらず、前者(合憲部分)は5対4、後者(違憲部分)は6対3という僅差の判断で、世論の分裂をまさに反映した判断、という論評も新聞に現れていました。
- なお、この判決の中で多数意見は次のようなコメントを付け加えています。「今から25年後には(高等教育の入学者選考にあたり、学生のDiversityを実現する上で)人種への考慮はもはや必要ない、ということになることを期待している」と。
- ちなみに25年といえば、大学の入学者選考において人種を考慮することに初めて法的な裏付けを与えた最高裁判所の判断が1978年-ちょうど25年前でしたから、まだまだ「道半ば」と裁判所が捉えているということかもしれません。あるいは、公民権運動の高まりから早40年、今なおアファーマティブアクションが必要と判断しなければならない現実に対する思いの表れ、ということもできるかもしれません。
- この裁判例のように、Diversityを根源的な価値の一つとし、その実現に取り組もうとする姿をアメリカは私たちに見せる一方で、私たちの---少なくともバーミングハムでの---生活実感からすると、住宅地にしても、教会にしても、学校にしても、様々な人種が混ざり合っている、という環境とはほど遠い現実もあります。バーミングハム市に黒人が集中する一方、オーバーザマウンテンと呼ばれる私たちが暮らすエリアは白人中心で、黒人をあまり見かけることがありません。どちらもアメリカの現実である訳ですが、これらの現実がもう少しクリアに見通せるようになるまで、裁判所が言うようにまだ時間が必要なのかもしれません。
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