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バルカン像  (2003/6/27)

2012/05/16 11:18 に Hosyuko Admin が投稿
  • 先週、バーミングハム市街とホームウッド/マウンテンブルック市を隔てるレッドマウンテンの上に、鉄製の立像である「バルカン像」が約4年の修復作業を終えて姿を現しました。1930年代後半に現在の場所に建てられ、修復のため99年にいったん解体されるまで、約60年の間バーミングハムのランドマークとして親しまれてきましたので、その復活劇は連日ローカルテレビで繰り返し報道されました。
  • バルカン像の誕生は100年前に遡ります。1904年にセントルイスで開催される世界博覧会を前に、アラバマ州から出展がないことを知ったバーミングハムの実業家が、街の発展を支えてきた鉄をモチーフとしてバルカン像作成を計画。イタリア生まれの彫刻家Giuseppe Morettiを中心に数ヶ月の突貫作業で高さ55フィートの「火と鍛冶の神」バルカンの像を完成させて博覧会に出展しました。
  • もともとバーミングハムは1870年代初頭、鉄道の敷設とともに街づくりが始められましたが、交通の利便と製鉄に必要な三要素、石炭・鉄鉱石・石灰石が全て近在に揃っていたことから鉱業・製鉄業が急速に発展、これらの産業を核として急成長をとげます。市制施行(1871年)のおよそ10年前まで、「貧しく、取るに足らない南部の村」に過ぎなかった場所が、その後「北のピッツバーグ・南のバーミングハム」とたたえられるほど鉄鋼を中心とした工業の街に変身したその興隆ぶりは「just like magic」といわれ、「Magic City」というニックネームもそこからついたという訳です。
  • そんな街の成り立ちを象徴するバルカン像は、セントルイスの世界博覧会で見事に賞を獲得、多くの注目を浴びましたが、その後の道のりは決して平坦ではありませんでした。もともとかなり個性的な顔つきですし、お尻をさらしている姿とあいまって特にご婦人には不評で、バーミングハムに帰ってきたものの展示先がなかなか決まりません。結局、Alabama State Fairgroundに置かれることで決着がつきましたが、色を塗られたり商品を持たされたりして興業主やスポンサーの宣伝に用いられるなど、不遇の30年を過ごしました。腐食も進み廃棄も検討されるに至った1930年代、バルカンに安住の地をという運動がKiwanisクラブのメンバーによって始められ、レッドマウンテンの上、バーミングハム市街を見上げる姿で安住の地を得たのは1930年代も終わりにさしかかっていました。
  • その後、掲げたヤリにネオンが取りつけられ、交通事故で死者があったときは赤、それ以外のときは緑に光るトーチとしても活用され親しまれてきました。ただ、歳月の経過とともに老朽化が進行、危険が指摘される状況となり、1999年に修復作業のためいったん解体されました。そして4年の歳月を経て、今月19日に再び勇姿を現したのです。誕生100周年を迎える2004年には、公園やビジターセンターとともに一般に公開される運びです。
  • ところで、バルカン像はバーミングハム市街を向いていますので、レッドマウンテンの南側には、後姿---裸のお尻---を向けています。Homewood Moonなどど揶揄されてきたそうですが、今回は体を右に約15度まわした位置で固定され、ホームウッドの中心部からはお尻ではなく横顔が見える位置に変わったそうです。"He won't be mooning Homewood completely." 月を表す「moon」が、動詞で「裸のお尻を向ける」という意味に転じることも、バルカン像の姿を見ていると実感できます。今年の独立記念日には、レッドマウンテンの上に打ち上げられる花火に照らし出されたバルカン像を見ることができそうです。
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